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柴田勝家の正しい家紋 (世間で出回っているのは間違いばかり)

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 はてなブログの方は,久しぶりの更新。ヤフーブログの方には詳しく書いてあるが,プライベートで色々なことがあって,こちらの方は手つかずのままだった。

 執筆中の拙著『御旗本・・・・』は,少しずつではあるが執筆中である。

 

 今回は,機械音痴の私が,やっと写真をパソコンのブログに掲載できるようになったので,まず手始めに,ヤフーブログの方では紹介済みの,「柴田勝家の正しい家紋」の写真を紹介する。ヤフーの方では,写真が小さすぎたからである。

 

 上記の写真は,愛知県豊川市(旧宝飯郡御津町)にお住いの,柴田さん方に伝存した古写真である。全国に「柴田勝家末裔」を名乗る家は多いが,この柴田さん方こそ,実は正真正銘の柴田勝家公の嫡流の末裔である。

 すでに前述のとおり,越前太守柴田修理亮(実名勝家)公は,天正十一年越前・北庄城で室小谷之方(お市)樣とともに自害する。その後,勝家公の養子たちは,德川氏に仕えて幕臣になったり(当家もこれです),大名家の家臣となったりして,柴田家の家名を存続した。

 その中で,德川將軍家の御直參御旗本家として,家録(禄)三、〇二四石を拝領し,勝家公流の武家諸家の中では「宗家」の立場にあったのが,他ならぬ,現豊川市在住の柴田さんのご先祖なのである。拙著で書き進めている,旗本本宿柴田氏である。

 「なぜ,江戸の御旗本の末裔が愛知県にいるの?。」という疑問を持たれた方は多いだろう。その理由は,瓦解ののち,東京で一士族として暮らしていた元旗本本宿柴田氏家族は,おそらく生活が行き詰まり,旧采地であった三河国宝飯郡に,かつての家臣で土地の素封家の援助で,明治二〇年代に東京から移住したからである。

 柴田さん方には,一般に大変数が少なく貴重な,旗本家の江戸屋敷側の史料が,伝存した。

 上記の古写真は,それらの史料とともに残されていた,明治時代も早い時期に撮影されたもので,ガラス板に焼き付けられている。

 写真に写っている「五」の文字が書かれた旗は,御使番の旗。右下に家紋が見える。

また,挟箱,兜が見える。これは,言うまでもなく,勝家公嫡流の旗本本宿柴田氏が旧幕時代に使用したものである。

 このうち、最も正確な家紋を描きやすい,御使番の旗に描かれた家紋が,旗本本宿柴田氏の,つまりは柴田勝家公の「正確な家紋」に間違いないのである。

 あらためて,一般に流布している勝家公の家紋との違いを確認すると,

1、上の雁金は,嘴を開いている。

2、上の雁金は,下の雁金よりも細長い。

 の2点である。ヤフーブログに載せた時より大きな写真になっているはずなので,ご確認いただきたい。

 ちなみに当家の場合は,外側の輪が二重になるだけで,中は上記の1、2、と全く同じです。

 

 断言したい。世間に出回っている勝家公の家紋は,100パーセント間違っている。