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『御旗本 小石川水道橋外・參河国加茂郡大嶋陣屋家禄七、〇〇〇石旗本石川氏,喰違外御堀端・參河國額田郡本宿陣屋家禄三〇二四石旗本柴田氏を中心に』の「はじめに」について(4)

 さて,今神崎氏らの編著書の致命的な欠陥について紹介した。困ったことは,これらの著者が,今は自分らが御旗本研究の世界では第一人者づらをしていることである。

 あれだけ間違いだらけの本を書いておいて,一度として謝罪・訂正をしているだろうか。このままだと,間違いの再生産が今後も続いていってしまう。

 同じようなことが,史料館などの研究機関や,都道府県史・市町村史の編纂の世界でもいえる。

 

 また、私(柴田)も,大阪府のある市の本文編近世の執筆をさせていただいたことがある。こうした自治体史の編纂事業は,実は貴重な史料・文化財の消失と,税の無駄遣いの舞台である。

 私も参加させていただいたある市の場合,途中で近世編の総責任者がなくなったため,前段階がいかほど進んでいたのか,全く連絡も出来ない状態で佐々木潤之介博士を中心とする私たちが担当することになった。

 残されていたのは膨大な撮影された史料の冊子。数億円の市民の税金が費やされたという。

 しかし,その冊子,本文編の執筆にはほとんど役にはたたなかった。なぜなら,私たちは,もう一度原史料から調査を始めたからである。

 冊子のうち,約300冊は今でも私の家の倉庫に眠っている。返せともなんとも言ってこない。もう市史編纂室が解散したのだから,しかたないという。私も困っている。

 そして,その市史自体,全然売れないとのことであった。

 そりゃ売れないよなぁ。一般の歴史好きが読むような本じゃないのだから。これらはどこの自治体でも同じである。

 そして,この市では,編纂室の解散により,借りていた大量の史料を所有者へ返したのだが,どこの家も新築・改築中などのために,廃棄したというのである。

 写真にしたものは残ったはずだが,いまどこにあるのだろう。

 しかし,市史編纂事業がなければ,各家の先祖代々の史料として数百年受け継がれていった可能性が高い。やはり,自治体史編纂事業は,「史料消滅の契機」であると言わざるを得ない。

 

 たとえば豊田市のある地域の村の史料は,左翼史学者がより好みそうな史料が,目録にはあるのに,現物はみごとに抜かれている。今では行方不明。これは,犯人は,おおむね見当がつく。この村の史料を使用したのは,限られた人物であるからである。

斉藤純である。

斉藤純は,『豊田市史』を,左翼史観一色にしてめちゃくちゃにしたやからである。市民のための市史を,自分の左翼的史観で塗り固めて良いはずがない。

 

 

 私は,必要な史料は,可能な限り必ず現物を見るようにしている。翻刻の間違いはもちろんだが,写真やフィルムになっていると,色や紙の質,大きさがイメージできないからである。

 以下,史料保存機関および人名は,実名で書く。

 で,そのような時,私は何の連絡もいれずに博物館や史料館,寺院などを直接訪ねる。その理由は,それらの機関で,どのように史料を取り扱っているか知りたいがためである。

 面白いことに,私の場合,九割以上の確立で,資料館・役所・旧家・公民館そして寺院など,いつ行ってもみせてもらえる。もっとも,寺院については、私(柴田)が臨濟宗の受戒者(靈海院殿鑑照知憲居士)であることと無関係ではあるまい。

 いつ誰が来ても大丈夫なようにきちっと整理整頓されているところもあるが,中には「未整理」状態で,一応作ってある目録にある史料が無い,なんてこともある。約25年前の愛知県豊田市郷土史料館がそうであった。しかし,当時の私はまだ早大生の時代であるが,閲覧はさせてもらえた。

 豊田市足助資料館は,いつでも自由に収蔵庫に入って,史料を出して見たりコピーをしたりすることが出来る。史料のコピーは,史料を傷めるなどということを言う人がいるが,世界に誇る「和紙」と「墨」が,たった一枚コピーしただけでで痛むことなんてあるはずが無い。今ではデジカメがあるから,さらに楽になった。

 三重県亀山市亀山市博物館には,伊勢龜山藩御家老加藤家文書が約13,000点残されている。ちなみに,伊勢龜山藩そして,亀山市は,新編の市史を他の市町村に先駆けて,デジタル版で刊行し完成した。これは,これからの時代には,必要なことであろう。

 この亀山市博物館も,約25年前から当日閲覧が可能であった。学芸員の小林さんも,最初にお会いした頃から,本当に良くして下さる。やはり,実物の史料を手にとって調べることは,デジタルの画面を見ながらよりも,はるかに楽しい。

 福井市歴史博物館は酷かった。突然訪ねた日は仕方なかったとしても,豊川市在住の元旗本本宿柴田氏末裔の柴田家が柴田勝家公の正真正銘の直系子孫であることを史料・写真を添えて送付するも,なしのつぶて。

 私の経験では,学芸員および市の文化財担当の職員が,一番態度が悪い。

 たとえば,わが岡崎市の場合,このようなことがあった。

鶴田知大の,論文「盗作」事件である。

 現在は合併により岡崎市になっている,旧額田郡額田町に旗本保久(ほっきゅう)石川氏(家禄四、〇〇〇石)の保久陣屋が置かれていた。ちなみに本書の中心となる旗本大嶋石川氏とは同族(伊勢龜山藩分家)の家である。

 筆者(柴田)は,豊田市郷土史研究会の『研究紀要』に,保久陣屋史の概観について投稿した。このときの原稿が,刊行前に岡崎市美術博物館に流れ,同博物館のアルバイトで愛知大学の院生であった鶴田知大(つるたともひろ)が,『岡崎市史研究』への自分の原稿に,一部を「盗作」したのである。実際に見ていただければわかるが,ある部分の記述が私(柴田)のものと,鶴田知大のものがほぼ全く同じ。私は,かつて『額田町史』の執筆をされた宇佐美正子氏に問い合わせ,鶴田知大も,私(柴田)の原稿を見ていたを認めた。

 岡崎市の方では,岡崎市美術博物館の堀江氏と鶴田知大が我が家に来て,堀江氏からは丁寧な言葉をいただいたが,鶴田知大は自分の主張を述べるだけで,全く謝罪の言葉はなかった。

 このような行為は,絶対に許されてはならない。

 「盗作」鶴田知大よ、愛知大学レベルの偏差値で,偏差値70の早稲田大学大学院卒の私(柴田)に反抗するとは,みんな笑っているぞ。

 そういえば,宇佐美正子氏,『額田町史』の中で,保久陣屋詰家臣のことを「国元御用人」と書いているが,私は元史料の中でこんな言葉を見たことが無い。これを宇佐美氏に尋ねると「造語」とのこと。ちなみに明治元年の陣屋詰筆頭家臣は「御用人役御代官取締兼帯」が正しい。

 宇佐美氏のやったことも,歴史の捏造・誤りの再生産にほかならない。

 

 地方自治体の文化財・歴史関係の職員のみなさん,あなたがたは国民の血税でいきている身分。もう少しそのことを自覚していただきたい。