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旗本 or 御旗本? 『御旗本 小石川水道橋外・參河國加茂郡大嶋陣屋家禄七、〇〇〇石旗本石川氏,喰違外御堀端・參河國額田郡本宿陣屋家禄三、〇二四石旗本柴田氏を中心に』の「はじめに」の概略(3)

 『御旗本』というタイトルからもお気づきの方もおられるであろうが,本書では,役職名や人名・地名等については,当時の史料中で使用されていた語句を用い,字体については,ワープロの機能が許す限り正字(旧字)体を用いている。英文についてはOxford Dictionaryが採用する英国標準綴りを使用している。

 よって,旗本大嶋石川氏の歴代主人も何名かが就任した大番頭は,「大御番頭」となり,旗本本宿柴田氏主人も就任した書院番頭は,「御書院番頭」と記述されることになる。

 左翼的史観の近世史学者なら,「御」をつけるのは德川將軍家に対して敬意を表しており「公平な歴史観」ではないと主張されるであろう。

 そうであろうか。

 江戸時代とは,德川將軍家が,頂点に政治的頂点にたった約3世紀である。

 同時代の,たとえば英国,いわゆるピューリタン革命が起き,その後の歴史を見ても,今でも続く二代政党制の成立には,もうしばらく時間がかかる。

 大陸側では,フランス,ドイツ,そして当時は大帝国だったハプスブルクオーストリアロシア帝国など,頻繁に戦争をしていた。

 よって,日本の江戸時代とは,世界に類を見ない,"パックス・トクガワーナ"という,世界に誇るべき歴史であると思う。

 むしろ,「御旗本」の「御」は,絶対つけるべきであると思う。

 

 また,人名については,各章の初出の場合には,判明する限り通称・実名をしっかりと書くようにしている。当時の同時代史料では,名前は通称・受領名・官名で書かれる。たとえば柴田勝家の場合,当時の同時代史料中では「柴田勝家」と書かれることはほとんど無い。柴田勝家は朝廷から,正式に從五位上修理亮の官位に叙任されていたから,資料中では「柴田修理亮」と書かれる。一方,柴田勝家の子孫にも,同じ修理亮に叙任された人がいるから,これでは混乱をまねく。よって本書では,「柴田修理亮(実名勝家)」と,各章初出では表記し,以後は「柴田修理亮勝家」と表記する。

 

 このように実名(諱)は,上級武士だけがもっていたと思われるかもしれないが,実際には一般の武士たち,さらには農村の庄屋層でも実際にはもっていた。本書では実印の印影などから判明する限り,各階層の人物の実名も表記している。

 その理由は,江戸時代には,同じ「通称」を代々名乗っていたとが多いので,はっきり言ってその家のご先祖のどなたかが,特定できない場合がある。その際、実印の印影を見れば,判読できれば実名を確定できます。

 

 また、以前に書かれた方の刊行本や論文を拝読すると,個人名・地名等の間違いは,ものすごい多さである。神埼彰利氏らの仕事があり(書名は忘れました,あまりにも役に立たないので。),御旗本家の采地の村名まで記載されている,これは便利だ、と思われるかもしれませんが,とんでもない。たとえば私が調べた旗本則定(のりさだ)鈴木氏(家禄一、〇〇〇石,)の參河國の采地700石九か村(上總國に300石),この九か村のうち,半分以上の村についての説明が完全に,間違っている。たとえば參河國加茂郡丹波村(現豊田市二タ宮町)の采地が,尾張丹波村と,全くおかしなことが書いてある。

 そもそも尾張なら,誰でも知っている知識として,尾張大納言家の領分である。

なんでこんな本作ったのであろうか?。

 

 神崎氏のこの本は,間違いが多すぎてと参考資料として使えるようなしろものではない。

 

 私が第一次史料,同時代の役名,実名などにこだわるのは,もし私の書いた文章に間違いがあったのならば,その間違いを見つけていただきたいからである。だから,情報は出来る限り詳細に書く,という方針で書いている。