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かりがね 刊 『御旗本 小石川水道橋外・參河國加茂郡大嶋陣屋家禄七、〇〇〇石旗本石川氏,喰違外御堀端・參河國額田郡本宿陣屋家禄三、〇二四石旗本柴田氏を中心に(仮題)』,「はじめに(序)」の要点。(1)

 現在執筆中の上記書籍は,前述の通り,「旗本知行論」を論じるものではありません。「御旗本そのもの」を描き出したいと考えています。

 理由は,こうです。

 まず,第一に,上記のニ家については,私(柴田)自身が,両家の直系子孫の方を存じ上げており,なおかつ分量は少ないものの,御旗本家江戸屋敷の主人であった両家の古文書が残されていて,私が郷土史研究会の『研究紀要』や小著で発表している他には,研究が無い,ということがあげられます。

 大嶋陣屋石川氏(以後「旗本大嶋石川氏」とする)の場合,直系子孫の石川様は岐阜県で開業医をされており,今でも旧采地とのつながりを持ってみえます。私も大嶋で石川様ご家族とお会いしたり,岐阜のご自宅をお訪ねし史料を拝見し,また貴重な家伝を伺いました。

 ちなみに,後述しますが,旗本大嶋石川氏は伊勢龜山藩石川氏六万石の分家で,江戸時代には同族の大名家二家,旗本家三家とは養子縁組などで緊密な関係にありました。しかし現当主石川裕医学博士によれば,現在では,旧石川子爵家をはじめ,どの家のご子孫のお宅とも交流はないそうです。また,旧江戸幕府幕臣子孫の交流会「柳營会」の会員でもないそうです。

 

 一方,本宿陣屋柴田氏(以後「旗本本宿柴田氏」とする)は,越前太守柴田修理亮(実名勝家)の嫡流にあたる家です。全国に柴田勝家の子孫と称する家は多いですが,旗本本宿柴田氏が,正真正銘の直系子孫です。柴田様のお宅は,明治二十年代までは東京に留まりましたが,のちに旧采地參河国寶飯郡に移住され,そのため旧宝飯郡御津町→合併により豊川市にお住まいです。現ご当主柴田勝久氏は勝家公から十七代です。

 余談ですが当然,私の家の宗家にあたるわけですが,やはり平成になるまで,交流はありませんでした。

 豊川の宗家柴田様方も,私の家も「柳營会」には入会しておりません。

 柴田様方には,かなりの量の江戸屋敷の古文書が残っています。これは大変貴重な史料ですが,柴田様方は大身御家であった自家の歴史に全く関心がないそうで,それらの史料は,旧御津町に寄贈され,現在は豊川市所蔵となっています。この前行ったとき,無造作においてありましたので,少し心配です。

 元旗本柴田家文書には,「門外不出」とされていた家系図があります。私はまだよく見てはいないのですが,清和天皇以来の系図であり,特に織田信長公の歴史の新事実を発見できるかもしれません。今度,写真に撮って,早大の大先輩である静大名誉教授の小和田哲男博士に見ていただこうと思いながらも,なかなか果たせません。

 

 なお、柴田修理亮勝家の「家紋」についひとこと。

 最近,戦国時代ブームなのか,先日開通した「新東名」の「岡崎サービスエリア」にたちよりましたら,なみいる戦国武将の「家紋シール」の中に柴田勝家のものもあり、それはそれで嬉しかったのですが、みごとに間違っていました。

 実は元旗柴田家文書の中には,明治期に撮影された江戸時代の「御使番」の旗に描かれた家紋の写真が残されているのです。これを見ると,

 ①上下二羽のかりがねのうち,上のかりがねはくちばしを開いている。 

 ②上のかりがねの方があきらかに下のかりがねより細長い。

ことがわかります。私の家の家紋でも,輪が二重である他は,宗家の通りです。

この写真は,私のケータイの「書肆かりがねのブログ」に写真も載せてあるので,関心がある方はご覧になってみてください。